MIDNIGHT COWBOY
邦題 「真夜中のカーボーイ」 (1969)
【クレジット】
監督 ジョン・シュレシンジャー
脚本 ウォルド・ソルト
出演者 ジョン・ヴォイト
ダスティン・ホフマン
【解説】
↑ 挿入歌です。再生しながらレビューを読んでみて下さい
アメリカン・ニューシネマの傑作という本作。カウボーイファッションのテキサスから来た青年がニューヨークという大都会で都会の洗礼を受けながら生きていくという話。作品の至る所で前衛的というかアバンギャルドな回想シーンが散りばめられている。
ジョン・ヴォイトは大柄でいかにもテキサス人らしい陽気な兄ちゃんを演じていて好印象であった。挿入歌である「Everybody's Talkin'(うわさの男)」の音楽と共に颯爽とバスに乗ってニューヨークに来るシーンは大都会という街に期待してワクワクする若者の憧れをよく表現していていて素晴らしい。ただ、金も無くなり期待していたハスラーの仕事もうまくいかず、それでいてテキサスと同じ皿洗いなど仕事をすれば何のためにNYに来たのかと(これじゃテキサスと同じだ!)プライド的に許せないことが最低の生活をさせることになってしまった。都会の現実は厳しいのねと感じさせる一幕だ。
ダスティン・ホフマンは足の悪いコソ泥役を演じたわけだが本当に小者感が出ていて素晴らしかった。『卒業』を演じてから間もない時期であったらしいが、両作品を比べてみて役者というのはこの様な人を言うのだなと思った。役柄によって前途有望な爽やかな大学生も社会の底辺に生きる足に障害を持つコソ泥も別人の様に演じられる演技力には脱帽した。
さて、物語の最後はホフマンが病気になりフロリダに行くことに。社会から拒絶されニューヨークから追い出された恰好だ。途中の停留所でテキサスの服をゴミ箱に捨て南国ファッションに着替えた矢先、ジョン・ヴォイトはバスの中でハスラーをやめてマイアミではちゃんと仕事に就くとの決意を述べる。
社会の厳しい現実を突き付けられ生きるためには仕方がないという権力への敗北はアメリカン・ニューシネマの特徴であろう。相方が病人だから仕方がないというリアリティーは若者の夢を簡単に打ち砕いたのであった。NYで拒否した皿洗いを受け入れたヴォイトの発言に私は作品中一番の衝撃を受けた。(ハスラーとして成功しかけた矢先という感じだった)
ジョン・ヴォイトがダスティン・ホフマンの演技によって喰われたという評価もあるが私はそうは思わない。大都会に場違いな程の陽気なテキサス人の演技は体格(190㎝)も含めて彼にしかできない演技であろう。
作品の全編で流れるあの爽やかな音楽と対照的に最後にホフマンが死を迎え救いがないことが、やりきれない気持ちで一杯にさせられる。
(2015-04-01)
[amazonjs asin="B00H1GZAK6" locale="JP" title="真夜中のカーボーイ Blu-ray"]